三光丸と「米田德七郎」(こめだとくしちろう) — 代々受け継がれてきた名前に込めた想い
三光丸総務部です。
今回は、三光丸の歴史とともに代々受け継がれてきた「名前」にまつわるお話をご紹介します。
入社当時の研修で営業に同行した際、お客様との会話の中で驚きの事実を知りました。なんと「米田德七郎」という名前が、代々受け継がれている名跡だというのです。「まるで歌舞伎の世界だ!」と大きな衝撃を受けたことを今でも覚えています。
そこで今回は、この「米田德七郎」の名前に隠された由来や歴史について、シニアアドバイザー(相談役)にお話を聞いてみました。
── どうして「米田德七郎」という名前が代々受け継がれているのですか?
商売の世界では、家業を同じ人物やその家族が代々守り続けている証(あかし)として、代々同じ名前や屋号を襲名する伝統があります。「あ、この薬(三光丸)は德七郎さんが造っている。だから本物だ」と、お客様に安心と信頼を届けるためでもありました。


「米田德七郎」の名前が入った看板は信頼の証し
── いつから受け継がれているのですか?
我が家では、明治時代になるまでは代々「米田丈助(じょうすけ)」の名を使ってきたようです。それが明治に入ると「德七郎」へと変わります。詳しい理由は定かではありませんが、「德」の字を冠する本家筋を継承するためだったのではないかと考えられています。
最初の德七郎については記録がありませんが、私の曽祖父が「德七郎」を名乗っていたことは確かです。その子である私の祖父は、もともと「虎義(とらよし)」という名でしたが、曽祖父の他界に伴い「德七郎」を襲名しました。
父も幼少期は「桂三(けいぞう)」でしたが、7歳のときに祖父が亡くなり、「德七郎」へと改名して名を継ぎました。そしてその子である私自身も、もとは「舜亮(しゅんすけ)」でしたが、父の戦死によりわずか3歳で「德七郎」を襲名することとなったのです。

明治時代以前は「米田丈助(じょうすけ)」の名が代々使われてきた。
── 歌舞伎役者のように名前を変更するのですか?
我が家の襲名は、歌舞伎役者のように通称として名乗るものではなく、すべて戸籍から正式に変更します。同一世帯に同姓同名は認められないため、親が生きている間は生まれた時の名を名乗り、親が亡くなったタイミングで正式に変名・襲名するという形をとってきました。
そのため、少し面白い現象も起こります。当然のことではありますが、母校である畝傍高校や岐阜薬科大学の同窓会名簿には、卒業年度違いで父と私の「米田德七郎」という名前がそれぞれ載っているのです。

官許三光丸の看板(左)と官許熱湯散の看板、 明治初期、津の支店に掲げてあった。
── 名前を変更する意義はどこにあるのでしょうか?
昭和初期までの三光丸は個人経営であったため、「三光丸=米田德七郎製造」という看板そのものが品質の証明でした。しかし戦後、法人化されて「株式会社三光丸」となった現代においては、個人名を代々襲名する実効的な意義は薄れつつあり、戸籍の変更手続きも現代ではかなり大変なものとなっています。ですが、それもまた我が家と三光丸が歩んできた歴史そのものだと感じています。
さいごに
歴史資料や母校の名簿の中に「米田德七郎」の名を見つけるのは、どこか誇らしくも不思議な縁を感じます。 今回の取材中、ご自宅で奥様が相談役を「舜亮(しゅんすけ)さん」と親しみを込めて呼ばれている微笑ましい場面もあり、伝統の重みとともに温かい家族の絆を感じて胸が熱くなりました。
代々大切に継承されてきた「名前」と同じように、三光丸の伝統とお客様への想いもまた、時代を超えてしっかりと受け継がれています。
コラム担当プロフィール

三光丸 総務部スタッフ
社内では各種事務手続きをはじめ、社員のみなさんが快適かつスムーズに業務に取り組める環境づくり、そして安心して働ける土台作りを担当しています。
三光丸コラムでは、伝統やものづくりへのこだわり、会社の歴史、日常の裏側などをわかりやすくお伝えし、三光丸の魅力を発信していきます。読者のみなさまに会社をより身近に感じていただき、少し笑顔になれるような親しみやすい記事をお届けすることが目標です!
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