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三光丸

Since 1319

三光丸は、鎌倉時代後期の元応年間(西暦1319~)には「紫微垣丸(しびえんがん)という名で造られていました。その後、後醍醐天皇により「三光丸」と名付けられたといいます。

三光丸の「三光」は、日(じつ)・月(げつ)・星(せい)の光を意味しています。また、後述しますが「星」は「金星」のようです。三光丸クスリ資料館所蔵の古い版木(江戸時代)によれば、越智家第11代の当主、越智家武(いえたけ)が北極星の神より霊験を得て「紫微垣丸」の製法を授かり、その後南北朝時代にいたって、後醍醐天皇より太陽・月・星の神から授かった秘方を意味する「三光丸」の名を賜ったとされています。

北極星の神から授かったという伝説はともかく、日本中世文化史の研究者である黒田智氏によれば、南北朝時代、後醍醐天皇の周辺には、日・月・星の三光を天皇権威と結び付ける「三光思想」が定着していたようで、有名な古典文学『太平記』にも、後醍醐天皇が倒幕を祈願した際に太陽・月・金星が並んで出現し、それをご覧になった帝が“自分の願いがかなう”と喜ばれた様子が記されています。

三光丸の当主米田家は、中世大和国で勢力をほこった豪族越智氏の流れをくむ家で、越智党内にあって興福寺や金峯山寺、多武峰、春日大社など有力寺社との折衝役をつとめるかたわら、医薬の道を一手に引き受けていました。南北朝時代、越智氏は後醍醐天皇の南朝方に味方しており、後醍醐天皇による“三光丸命名”が実話である可能性は高いと考えています。

また国旗・社旗の掲揚について、三光丸では、以下に示すような理由で毎日社員が交代で国旗・社旗を掲揚しています。

1)国旗・社旗の掲揚とともに、生かされていることに感謝し、今日一日の安全、無事を祈るため
2)朝、出社してくる社員にたいし、国旗・社旗が高揚されているのを見て、一日の仕事・研修の意欲を喚起させるため
3)お客様や通行中の方などに「当社は本日、営業しており盛大である」ことを示すため

降旗の際は、今日一日の社内の無事を感謝するならわしとなっています。

三光丸 正面玄関01 三光丸 国旗と社旗

和漢薬のふるさと三光丸を訪ねて

緑豊かな環境から、新しい伝統が生まれる

大和盆地の南西部、西に金剛葛城山地が走り、南に吉野山系と接する奈良県御所市・高取町一帯は、日本文化の発祥の地であるとともに、わが国医薬の成り立ちに深い関わりをもつ、和漢薬のふるさととしてもよく知られています。

古い街道を歩くと、白壁土塀の豪壮な家々に薬の看板が掲げられていたり、粉砕機械の音や生薬の香りが漂う、薬づくりの伝統を今に受けつぐ土地柄であることがわかります。そんな昔ながらの街の一角に、大和家庭薬の中でも老舗中の老舗といわれる、700年もの歴史をもつ健胃薬三光丸の製造元、三光丸があります。

国見山の小高い丘陵を切り拓いた、約2万㎡の広大な敷地に、大空へ翼を広げたような寄棟大屋根の本社事務所、工場、倉庫等が周囲の緑と美しく調和し、落ち着いたたたずまいを見せています。 敷地内には、クスリ資料館や由緒ある稲荷もあり、飛鳥からひと足のばした観光スポットとして、見学に訪れるハイカーにも喜ばれています。

三光丸のあゆみ

元応1~3年(1319~21) 「紫微垣丸(しびえんがん)」と名付けられた薬(三光丸の前身)が作られていた。
建武3年・延元1年(1336) 「紫微垣丸」に対し、第96代後醍醐天皇より「三光丸」の勅号を賜り、薬の名称が変わる。
天文19年(1550) 京都の公家、山科言継が、日記の中で三光丸について度々言及している。
天正1~文禄1年 米田小重郎が織田信長の嫡男である織田信忠に三光丸を献上し、「軍中第一の妙薬にせよ」との言葉を授かる。
延宝1年(1673) 米田家の先祖が高野街道沿いの旅館に三光丸を置き、販売を行なう。
安永1年(1772) 米田文内が三光丸の配置販売を大和から伊勢、河内方面に広める。
文政1~12年(1818~29) 三光丸が近畿の行商で大和売薬の基礎を築く。
慶応2年(1866) 米田丈助が主導し、富山と大和の売薬業者が共存共栄のため、『仲間取締議定書連印帳』という紳士協定を結ぶ。
明治30年(1897 三光団社が結成され、全国的に新規得意開拓を進める。
明治32年(1899) 三光丸同盟会発足
明治37年(1904) 三光丸の製丸が、それまでの手作業から石油発動機にかわり、生産量が大幅に増大する。
大正3年(1914) 五角形の薬包紙を実用新案登録する。
昭和22年(1947) 法人化し、株式会社三光丸本店となる。
昭和32年(1957) 自動包装機による包装を開始し、生産性と品質が向上する。
昭和40年(1965) 米田徳七郎舜亮(現シニアアドバイザー)が、取締役社長に就任。
昭和60年(1985) 配置販売員養成組織、株式会社三光丸配置研修部が発足。
平成4年(1992) センブリのエキス化生産プラント完成し、自社で原料の完全加工が始まる。
平成11年(1999) 三光丸クスリ資料館開設
同盟会100周年記念式典開催。
平成18年(2006) さらなる品質向上のため三光丸のパッケージを一新、新充填・包装ライン稼働開始。
平成24年(2012) 株式会社三光丸配置研修部と資本増強のため合併し、株式会社三光丸となる。
平成26年(2014) 米田豊高が、取締役社長に就任。
平成26年(2014) 三光丸クスリ資料館が、『一般財団法人三光丸クスリ資料館』となる。
株式会社三光丸 クスリ資料館