今から約700年前、私の(米田家の)先祖が後醍醐天皇に一族の秘伝薬を献上した際、帝より“三光丸”の名を賜りました。以来、第34代当主の私に至るまで、代々その製法を守り伝えてきました。
三光丸の特徴は、大自然の恵みともいうべき生薬の穏やかで確実なはたらきにより、胃腸の不快な症状を和らげると同時に、身体の治癒力を高める点にあります。この三光丸をすべてのご家庭に常備薬として提供し、人々の健康を守る―これこそが私達の願いであり、使命と信じています。
長い歴史に培われてきた知恵と技術をもとに、これからの100年、200年…を見すえながら、「人々の暮らしのすぐそばで、健やかな笑顔を見守り続ける企業」「広く社会に貢献し永続する企業」を目指してまいります。
会社概要
会社名 | 株式会社 三光丸 |
---|---|
所在地 | 奈良県御所市今住700番地1 |
役員 | 代表取締役社長 米田 豊高 |
設立年月日 | 昭和22年2月 |
事業内容 |
1.家庭薬配置販売員の養成 2.家庭薬配置得意先の開拓及びその販売 3.医薬品「三光丸」及び医薬部外品の製造並びに製造販売 4.上記各号に附帯する一切の業務 |
資本金 | 4,800万円 |
営業所数 | 14ヶ所 |
国旗・社旗の掲揚について、三光丸では、以下に示すような理由で毎日社員が交代で国旗・社旗を掲揚しています。
1)国旗・社旗の掲揚とともに、生かされていることに感謝し、今日一日の安全、無事を祈るため
2)朝、出社してくる社員にたいし、国旗・社旗が高揚されているのを見て、一日の仕事・研修の意欲を喚起させるため
3)お客様や通行中の方などに「当社は本日、営業しており盛大である」ことを示すため
降旗の際は、今日一日の社内の無事を感謝するならわしとなっています。
和漢薬のふるさと三光丸を訪ねて
緑豊かな環境から、新しい伝統が生まれる
大和盆地の南西部、西に金剛葛城山地が走り、南に吉野山系と接する奈良県御所市・高取町一帯は、日本文化の発祥の地であるとともに、わが国医薬の成り立ちに深い関わりをもつ、和漢薬のふるさととしてもよく知られています。
古い街道を歩くと、白壁土塀の豪壮な家々に薬の看板が掲げられていたり、粉砕機械の音や生薬の香りが漂う、薬づくりの伝統を今に受けつぐ土地柄であることがわかります。そんな昔ながらの街の一角に、大和家庭薬の中でも老舗中の老舗といわれる、700年もの歴史をもつ健胃薬三光丸の製造元、三光丸があります。
国見山の小高い丘陵を切り拓いた、約2万㎡の広大な敷地に、大空へ翼を広げたような寄棟大屋根の本社事務所、工場、倉庫等が周囲の緑と美しく調和し、落ち着いたたたずまいを見せています。 敷地内には、クスリ資料館や由緒ある稲荷もあり、飛鳥からひと足のばした観光スポットとして、見学に訪れるハイカーにも喜ばれています。
三光丸のあゆみ
元応1~3年(1319~21) | 「紫微垣丸(しびえんがん)」と名付けられた薬(三光丸の前身)が作られていた。 |
---|---|
建武3年・延元1年(1336) | 「紫微垣丸」に対し、第96代後醍醐天皇より「三光丸」の勅号を賜り、薬の名称が変わる。 |
天文19年(1550) | 京都の公家、山科言継が、日記の中で三光丸について度々言及している。 |
天正1~文禄1年 | 米田小重郎が織田信長の嫡男である織田信忠に三光丸を献上し、「軍中第一の妙薬にせよ」との言葉を授かる。 |
延宝1年(1673) | 米田家の先祖が高野街道沿いの旅館に三光丸を置き、販売を行なう。 |
安永1年(1772) | 米田文内が三光丸の配置販売を大和から伊勢、河内方面に広める。 |
文政1~12年(1818~29) | 三光丸が近畿の行商で大和売薬の基礎を築く。 |
慶応2年(1866) | 米田丈助が主導し、富山と大和の売薬業者が共存共栄のため、『仲間取締議定書連印帳』という紳士協定を結ぶ。 |
明治30年(1897 | 三光団社が結成され、全国的に新規得意開拓を進める。 |
明治32年(1899) | 三光丸同盟会発足 |
明治37年(1904) | 三光丸の製丸が、それまでの手作業から石油発動機にかわり、生産量が大幅に増大する。 |
大正3年(1914) | 五角形の薬包紙を実用新案登録する。 |
昭和22年(1947) | 法人化し、株式会社三光丸本店となる。 |
昭和32年(1957) | 自動包装機による包装を開始し、生産性と品質が向上する。 |
昭和40年(1965) | 米田徳七郎舜亮(現シニアアドバイザー)が、取締役社長に就任。 |
昭和60年(1985) | 配置販売員養成組織、株式会社三光丸配置研修部が発足。 |
平成4年(1992) | センブリのエキス化生産プラント完成し、自社で原料の完全加工が始まる。 |
平成11年(1999) | 三光丸クスリ資料館開設 同盟会100周年記念式典開催。 |
平成18年(2006) | さらなる品質向上のため三光丸のパッケージを一新、新充填・包装ライン稼働開始。 |
平成24年(2012) | 株式会社三光丸配置研修部と資本増強のため合併し、株式会社三光丸となる。 |
平成26年(2014) | 米田豊高が、取締役社長に就任。 |
平成26年(2014) | 三光丸クスリ資料館が、『一般財団法人三光丸クスリ資料館』となる。 |